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五十路男物語
第2章 バリ島移住奮闘編
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わたくしプロフィールにも書いていますが、いわゆるバツイチです。
元妻の美雪とは一緒にいて居心地が良く、職種も近く音楽や趣味の好みもよく似ていました。
思春期の頃の経験もあり「幸せな家族」への漠然とした憧れも持っていましたし、これからはこの人とずっと一緒に人生を歩いていくんだろうなと、本当に強くそう思っていました。
※ここから、元妻→妻と表記します。
第一子誕生
結婚してからも共働きでしたが、長女を授かってから美雪は専業主婦になり子育てに専念していました。
そんな新生児子育てのまっただ中に私は勤め先が変わって、異業種での日々の仕事を回していくので精一杯で、子育てに苦悩する美雪の辛さに全く気がついて居ませんでした。
初めての育児は、私が思っていた以上に過酷なものでした。
少し長女が大きくなって、保育園に入れるようになる頃には自分でお母さん向けのケーキ教室も始めました。
自分の居場所が見つかって、美雪も充実した日々を送れている。
そう思い込んでいました。
でも、 会話が少しずつ減っていきました。
家にいても、どこか距離を感じるようになりました。
そのころの私は
仕事が落ち着けば元に戻る。
娘が少し大きくなったら落ち着く。
くらいにしか考えていませんでした。
気がついた時には、夫婦の間に深い溝ができあがっていました。
長女・自然園へ転園する
長女の綾は自宅近くの公立の幼稚園に通っていましたが、美雪の強い意向により山奥にある自然育児の個人経営の保育園に転園しました。
私は片道車で20分かかる山奥への送り迎えに
「本当にそこまで通う必要があるのかな?」
とも思いました。
ただ、自然に囲まれた環境で毎日過ごすことは良かったですし、何より美雪の希望を優先させてあげたかった事が大きかったのでした。
毎日お弁当。
冷凍食品なし。
出来るだけ自然なものを。
TVは一切見せない。
等々・・・。
園の方針は大変でしたが、子供の成長を考えると頷ける部分も多く、山の自然に囲まれて綾はすくすく元気に逞しく成長していきました。
自然の中で毎日走り回って身体能力メチャ高で、5歳で補助輪外れるの図。

綾も毎日楽しそうに過ごしていました。
でも、夫婦としての会話は最低限になり、見た目には普通でも、お互いの心の距離は遠くなっていました。
何をすれば元に戻るのか分からないまま、それでも自分なりに必死でした。
相手を大切にしているつもりでした。
今思えば、自分で決める責任を避けて、相手に合わせることでバランスを取っていました。
そんなある日でした。
東日本大震災 人生の転機へ
2011年3月11日14時46分
三陸沖を震源とするマグニチュード9の未曽有の大地震が日本列島を襲いました。
東日本大震災
その瞬間、勤務先の倉庫に居ましたが、「なんか揺れてる??」くらいの感覚でした。
帰宅してTVから流れる見たこともない惨状の映像の数々。
数日間はまったく現実感のない映像にくぎ付けになっていました。
※東日本大震災により犠牲となられた多くの方々へ、心より哀悼の意を表します。
家族の安全のために
その当時は正誤はっきりしない様々な情報がネット上で飛び交いました。
情報も錯綜していて何を拠り所にしていいかもわからない状況でした。
北海道は殆ど震災の被害も影響もなく、文字通り対岸の火事で当事者意識が皆無だったように思います。
当時の私には気づいていませんでしたが、美雪も毎日必死に情報を集めていたのだと思います。
私はといえば、
「北海道は大丈夫でよかったよかった。」
などと呑気に過ごしていました。
この頃はまだ、この震災が私たち家族の人生を大きく変えていくことになるとは、想像もしていませんでした。
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~苦悩する中で第2子誕生、そして~
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