前の話はこちら
第3章の登場人物はこちら
────────────────
五十路男物語
第3章 夢の終わりと再構築
────────────────
あの夜、美雪と交わした言葉を、ここに再現するつもりはありません。
私は見てしまったことについて美雪に問いただし、美雪もまた、薄々感じていた私からの疑念の眼差しへの哀しさをぶつけました。
結婚してから十数年。
これほど大きな声で、美雪に自分の言葉をぶつけたのは初めてのことでした。
これまで言えなかったこと。
言わずに飲み込んできたこと。
相手に分かってほしいと思いながら、伝えることを諦めてきたこと。
お互いの言葉は、相手に届くというよりも、それまで長い時間をかけて溜め込んできたものを、ただひたすらにぶつけ合うようなものになっていました。
美雪の言葉は、私にはまったく入ってきませんでした。
おそらく、私の言葉も美雪には届いていなかったのでしょう。
黒いノートをその場に持ち出して、そこに書かれていたことを突きつけることもできました。
でも、そんなことを望んでいるわけではありませんでした。
何が正しかったのか。
誰が間違っていたのか。
そんなことを決めたところで、もう何かが元に戻るわけではありません。
話は最後まで噛み合わないまま、会談は物別れに終わりました。
そして、私たち夫婦の亀裂は、この日を境に決定的なものになりました。
会談のあと
十数年も必死になって守ろうとしてきた関係も、終わる時はこんなものなのか。
不思議なくらい、何も感じなくなっていました。
悲しいとか。
悔しいとか。
腹が立つとか。
もちろん、そんな感情が全部なくなったわけではなかったのでしょう。
でも、それ以上に大きな無力感と空虚さに心を覆われていて、その頃の私は、文字通り感情が死んでいました。
家族としての会話はあります。
でも、夫婦としての会話は消えてしまいました。
それでも、「離婚」という言葉が現実のものになったからといって、家族の生活まで止まるわけではありません。
朝になれば起きる。
「おはよう」と挨拶をする。
みんなでご飯を食べる。
綾は学校へ行き、私たちは仕事へ行く。
優太の送り迎えもある。
「帰りに○○買ってきて」
「明日は何時に帰る?」
「優太のお迎えお願いできる?」
日常を回すために必要な会話は、それまでとほとんど変わることなく続いていました。
傍から見れば、きっと何も変わっていなかったと思います。
自分たち自身でさえ、離婚の話などなかったかのように日常を過ごしていました。
でも、夫婦としての私たちは、もう以前の二人ではありませんでした。
そんな状態のまま、一か月ほどが過ぎました。
子供たちの行き先
いつまでも問題を先送りにするわけにはいきません。
私たち二人だけのことであれば、まだ先延ばしにすることもできたのかもしれません。
でも、私たちには綾と優太がいます。
もはや離婚そのものは確定事項です。
それならば、これから二人はどこで暮らすのか。
誰と暮らしていくのか。
学校はどうするのか。
そして、離れて暮らすことになる親とは、これからどう関わっていくのか。
決めなければならないことが、いくつもありました。
あの日の会談では、私も美雪も感情的になっていました。
それから一か月。
ようやく私たちは、少し冷静に今後のことを考えられる段階に入っていました。
夫婦として歩いてきた道は、もうここで分かれてしまう。
でも。
親としての道まで、ここで切れるわけではありません。
そして、この一点だけは二人とも同じでした。
綾と優太に、幸せでいてほしい。
私たちの都合で離婚するのだから、子供たちにまで親の都合を押しつけることだけはしたくありませんでした。
どちらについてくるべきなのかを、親が一方的に決めるのではなく、最後は、子供たち自身の気持ちを尊重しよう。
そして、どちらを選んだとしても、
父親と母親が協力して、できる限り二人を支えていこう。
私たちは、そう決めました。
ただ――
親がそう決めたからといって、すべてが綺麗に収まるほど、簡単な話ではありませんでした。
━━━━━━━━━━━━━━
次の記事
▶こどもたちの意思
腹が決まっていないのは大人だけでした
【続きを読む】
━━━━━━━━━━━━━━



コメント